長いです。膿がでてきました。
こうしてネットにのせておいてなんですが
読まなくていいです。誰にも言ってません。
自分に言ってます。長~い独り言。
先日、NHKスペシャルを見ました。
自分の都合のいいようにこの震災をとらえはじめているな、と気づきました。
原発のゴタゴタは実に悲惨です。
まだ真っ只中。被災し続けている。
どうしたらいいのかわからないんだと言って涙が流れる。
子供が心配で心配でたまらないんだと目から液体がつーっと流れている。
泣いているんじゃなくて不安でたまらない様子があふれている。
何が愉しくだ、ゆるくつながろう?
何言ってんだ、「何やってんだ、自分!」です。
ラジオで被災した人の生の声を伝える番組を耳にした時もそうでした。
日本人は礼儀が正しいなんて・・。
被災したコンビニでは物の奪い合いだったと。
泣き声になっていた・・。
支援物資を届けに行ったNPO団体のボランティアは
「今頃になるまでどうして水一本持って来られないんだ」
と人に囲まれ責められたと。
・・・違う、違う、そうじゃない。
被災者を責めているわけじゃない。違うの。
そんなに追い込まれているとは・・思わなかった。
思っていたけど思わなかった。報道に助けられていた?
そうです、こんな大惨事、礼儀正しい、冷静だなんてことがあるわけない。
目を伏せていたのかもしれません。
被災してない地域でもスーパーから物が一斉になくなったのですから、
お金を払っていたって奪い合いです。あの状況は。
悲しい思いとあせる思い。そう複雑な気持ちになること自体うしろめたい。
結局自分のことを考えている。
こんな時、穏やかでいられた人はどんな人だったんだろう・・。
私たちよりもっと悲惨な状況に置かれている人たちが
私たちより冷静でいられるわけがない。
当たり前のこと。
なのに・・・。
そんなに悲惨であったとは思いたくないから思わない。
切なくて胸が詰まってご飯が食べられなくなるから?
防衛本能!?本能なのか。
原発について本当のことなんか伝えていなかった。
原発についてはその認識はあっても
彼らの悲惨さについてはまったく。
報道は被災者のためにあったのではなくて
被災してない私たちのためにあったのか・・。
そう気づく。
たまらない。何もしない自分。
たぶんこれからも何もしないさ。
私だもの。
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